佐世保と、その周辺(21)「有名人・偉人たちの足跡」・・・巻さんのコラム

1)伊能忠敬 「七十に近き春にぞ あひの浦 九十九島をいきの松原」
1812年(文化9)測量を始めて12年目の暮れにやってきた。針尾島を一周して佐世保湾を測量し翌1813年相浦、俵ヶ浦半島、九十九島の島々を測量した。
2)勝海舟、榎本武揚 1860年(安政7)日本の軍艦として始めて太平洋を渡った咸臨丸。3本マストの蒸気船(300t)は幕府がオランダら購入。長崎海軍伝習所の船として九十九島で航行練習をしている。その船には、勝麟太郎、榎本釜次郎、赤松大三郎(則良)など明治維新で活躍する若者達が乗船していた。
3)宮城まり子(ねむの木学園園長、俳優) 昭和14年12才で母を結核で亡くし、昭和19年の時父の実家大分へ、弟と3人で疎開。その年父が再婚し、新しい母の住む佐世保へ。原爆投下直後、父につれられ佐世保駅へ。駅では多くの被爆者が、血と汚れの真っ黒い顔で水を求めていた、水をあげ、ブラウスの袖で何人も何人も顔を拭いてあげた。戦争はいやだと心から思った。拭かせていただいたことを喜んでいる。見過ごしにせず自分にやれる事をやらなければと思った。
4)小沢昭一(俳優) 針尾海兵団予科少年兵。敗戦後兵学校から親元へ帰るべく、やっと汽車にのる。何度もとまりながら、どことも知れぬ引込み線で夜がくる。9月近くのその夜、たくさんの青いホタルが飛ぶのを目にした。広島、原爆の死者の燐がもえていたと知るのは、ずっと後のことだった。
5)浦頭引揚者
三国連太郎(俳優) 上海より佐世保へ引き上げた。途中、広島の惨状を目にした。
渡辺浜子(歌手) 伝染病で上陸禁止となり、20日間、船中生活となった時。渡辺浜子さんが、慰労のため音楽会を開いてくれた。
森繁久弥(俳優)
加藤登喜子(歌手)

6)華岡青洲(日本で初めて麻酔手術をした)
医師、七種(さいぐさ)周哲さんは華岡青洲の門下生だった人です。息子の純一郎さんは、谷郷町にあった平戸藩郡代役所跡で開業されていました。孫の周二郎さんは小児科医でした。祇園町の「はぜ山」(千住病院がある小高い丘)に340年前の1666(寛文6)年に建てられた大神宮の碑があり、その横に“昭和9年7月再建七種純一郎”とあります。この辺りは七種家の土地だったところです。
7)林芙美子(作家) 小説「放浪記」の作者
子どもの頃、佐世保に住んだことがあり、父に連れられ佐世保の勧工場(公設市場)を訪れた思い出を綴った一文があります。

8)野口雨情(詩人・童謡「七つの子」など)
1927年佐世保を訪れ、弓張岳に登った。その時「弓張岳は弦なし矢なしただ空見てる梯子かけてお天道さんに矢と弦もらへ」と即興で詩をかいています。






























